「馴染み」と「煮込み」



電車の中で偶然ある弁護士事務所のブログを見ました。

そこでは、
弁護士は仕事が始まると、その案件に向き合うための着手金(案件を着手してことを始める)と、最終的な裁判の結果に見合った報酬金を受け取る、と言った内容の文章が書いてありました。

私が思うに、創作活動やデザインは、
プロジェクトや関わる人が毎回異なり、思想を具現化する答えのわからない道中で、都度その着地点を探していく先の見えない旅に近いと思います。最初に答えを掲げてそこへ向かっていく作業ではなく、都度学びながら、視点を変えて臨機応変に動いていく過程は先の予見ができないものです。さらに、その道中は容易に言語化はできず、抽象的な感覚のまま其々が共有をし、 脳と体で対象に慣れていく感じに近いと感じます。


そしてまた、その旅のプロセスは、デザイナーだけのものではなく、クライアントとデザイナー、およびチーム全体の旅であるということが一番重要なことの一つだと思います。みんなでひとつの船を動かしているイメージです。なので、クライアント側およびチーム全体にも考え、並走することが必要だと感じます。

クライアントワークとして、創作に関わる仕事をする際は、その先見不可能な旅を始めるための資金としての着手金と、結果として流れ着いた最終提示物に対しての相手の反応に応じた報酬金を受け取るという方法は、デザイナー・クライアント両者にとって意外と良いプロセスが生まれるのではないかと思いました。着手金を支払うことは既にデザイナー以外のクライアントがプロセスに最初から入っていることになります。そのおかげで製作者側が動ける幅や、互いを気にかける点も生まれます。

最終的な報酬金も、互いを尊敬し、結果に至るまでをデザイナー、クライアント、チームが並走し、しっかりとしたコミュニケーションが各方位にあれば、表層的で契約的な条件内容という無機質なものから、最終的に人間味のあるお互いを理解し合えた結果となるような気がしました。

報酬という形でお金のために、という作業人工(さぎょうにんく)的なかなり偏った側面だけであればいいのですが、その一点に意識が高すぎると、それでは最終成果物への意識が歪なものになります。

思想を形にするというプロセスの中で最大の報酬は、クライアントまたは何かしらの捜索を始めるきっかけをもたらす出来事とデザイナーとの出会いから生まれた発想が、さまざまな過程を経て何かに変換されて、その変換が純度の高い形で生まれることで見える新しい景色ということが報酬だと自分は考えています。デザインや創作の過程は、予算に見合った買い物や、既知から行う作業ではないのです。

一見現代社会の構造からだと浮世離れしたように聞こえるかもしれませんが、一個人としてはそう考えてますし、今の現実社会と言われているものとあってなくても良く、実際に現実でそういった活動をすることは可能です。

さて、話は一番最初に戻りますが、弁護士の仕事内容や人との関わり方という面を深く考えたことはなかったのですが、クライアントの状況を理解し共に走り、依頼者も弁護士も 、自分ごとでプロセスに大きく関わり、人間味が多く出る過程と、デザイン・芸術領域で他者と関わり、事をなす過程に、親和性と個人的に新たなひとつの道を感じました。



NovJan. 5,  2026,     Tokyo / Japan






























   




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